大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和50年(う)1267号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は大阪地方検察庁検察官稲田克巳作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人森島忠三作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

検察官の論旨は要するに、「本件公文書毀棄の公訴事実につき、原判決は、訴因として掲げられた事実をそのまま認めながら、被告人が毀損したとされる弁解録取書は未完成のものでありその程度からすれば刑法二五八条にいわゆる公務所の用に供する文書には該当しない、として被告人に無罪を言渡した。しかしながら、右未完成の弁解録取書をもって刑法二五八条の公務所の用に供する文書にあたらないとした点は、同法条の解釈適用を誤ったものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである」というのである。

弁護人の答弁の要旨は、「弁解録取書の性質、作成目的等に照らすとき、本件未完成の弁解録取書をもって刑法二五八条の公務所の用に供する文書にあたらないとした原判決の判断は正当であって、そこには同法条の解釈適用の誤りはなく、検察官の控訴趣意は理由がない」というのである。

そこでまず事実関係を検討するに、本件公文書毀棄の公訴事実の訴因については原判決もこれを認めるところであるが、原審で取調べられた証拠にもとづきさらに補足を加えて認定すると、

被告人は昭和五〇年三月二四日午前五時一〇分ごろ東大阪市内の路上において公務執行妨害の現行犯人として警察官に逮捕され、大阪府布施警察署において右逮捕者たる司法巡査らから被告人を受取った同警察署司法警察員巡査部長島田重賢は、被疑犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げたうえ被告人に弁解の機会を与えたところ、被告人が被疑事実についての弁解を述べるとともに弁護人選任に関する意思を表明したので、犯罪捜査規範一三〇条に定められたところに従い右結果を記載した弁解録取書をその場で作成するべく、同五五条に掲記されている司法警察職員捜査書類基本書式例(検察官の一般的指示権にもとづき検事総長が定めたもの)にのっとって印刷された、同警察署備付けの弁解録取書用紙を用い、これを原本とする意思のもとに、弁解録取書との標題の次にある被疑者の住居、職業、氏名、生年月日(年齢)欄に被告人が述べたところをそれぞれ記載し、次に、同用紙に印刷された不動文字を利用するなどして「本職は、昭和五〇年三月二四日午前五時  分ころ、大阪府布施警察署において、右の者に対し、現行犯人逮捕手続書記載の犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げたうえ、弁解の機会を与えたところ、任意次のとおり供述した。」と記入し(このうち「五〇」「三」「二四」「前五」「大阪府布施」「現行犯人逮捕手続書」が同司法警察員による書入れ部分で、その余は印刷された不動文字)、これに引続き、被告人の供述の内容として「一、只今言われたことについて私は警察官の肩をさわっただけで殴った事はありません」「二、弁護人のことについては私のよく知っているY弁護士」と書き入れたところ、その時点で被告人が同用紙を原判決説示のとおり毀損したので、同司法警察員としては右書き入れずみの文言のあとへ「をつけます」と書き、これをもって被告人の供述内容の記載を完結しようとしていたのであるが、果さなかった。

右弁解録取書用紙の末尾には「右のとおり録取して読み聞かせたところ、誤りのないことを申し立て署名 印した。」「前同日」「大阪府  警察署司法警察員      」と不動文字で印刷されていて、被逮捕者の供述内容の書き入れを完了したのちその記載内容を被告人に読んで聞かせることが求められており、したがって、同司法警察員としてもこれに従い、被告人の供述内容の書き入れを完了した後、その場でこれを被告人に読んで聞かせ、記載に誤りがないと言えばそのままで、増減変更を申立てたときはその旨を記載しあるいはその述べた趣旨に従って書き入れずみの内容を加除訂正したうえ被告人に署名押印を求め、しかる後、所属警察署名を書き入れたうえ自ら署名押印してその場で弁解録取書を完成する予定であった。

以上のとおりである。

ところで、刑法二五八条にいう「公務所の用に供する文書」とは公務所(それは刑法七条二項にあるとおり公務員の職務を行う所のことであるが、「所」とは、有形の場所とか建物とかを指すのではなく、制度としての官公署その他の組織体を意味している)で使用、保管されている文書のことであるが、本件のごとく特定の公務員が職務上その完成を目ざして文書の作成にとりかかりその作成作業の途中にある場合においては、どのような段階に達したときに作成中の書面が右のごとき意味での公用文書に該当するに至るのかが問題になるのである。

前記認定によれば、その作成者である司法警察員島田重賢は、当該弁解録取書用紙に被逮捕者である被告人を特定するに足りる事項を冒頭に書き終え、かつ印刷された不動文字を利用して、特定の日時、場所において右の者に対し特定の被疑犯罪事実の要旨その他を告げて弁解の機会を与えたことを書き、その機会に右の者が供述した内容を録取するという趣旨のことを記載しているのであって、これによれば、本件弁解録取書の用紙はすでにたんなる公務所備付の用紙一般にとどまらず、特定の犯罪事実による特定の被逮捕者のための特定の弁解機会について用いられるべき弁解録取書(原本)用紙として特定されるに至っており、この意味で、その用紙自体はすでに公務所の用に供せられるに至ったものとみることができるし、一方、右用紙上における右のごとき趣旨の記載と、次に書き入れられた供述内容の記載がほぼ終了し、ことに犯罪事実に対する弁解の点は形式上完結していることに照らすと、同用紙上の記載内容が文書性を備えていることもこれを肯定しなければならないであろう。

しかしながら、本件においては右のごとき検討を経るだけで未完成の弁解録取書が公用文書に該当するに至っているとすることはできないと考えられる。なぜならば、本件で作成されつつあった弁解録取書は、被逮捕者に弁解の機会を与えた司法警察員がその機会に被疑者がどのように述べたのかということを自らの体験として記載する一種の報告文書であって、当該司法警察員のみがよくこれを作成し得るものであり、したがって当該司法警察員としてはその唯一の体験者として作成を完了する責務を有し、これを完成させたうえその結果を組織体に提供しなければならないのであって、それまでの内容、形式ともに未完成の段階においては、未完成ながらも従前の結果が文書として組織体たる公務所の使用、保管に供せられたと見得るかが問題になるのであり、この点が肯定されないかぎり、それが公用文書であることを否定するのが相当であるからである。そして、この文書としての公務所供用性の問題は、検察官の所論のようにその作成作業が公務員の職務行為として行なわれているという事実から原則として当然に肯定されるという性質のものではなく、それまでの作成作業の結果が未完成ながらも文書として組織体の用に供されたと見得るか否かの問題であるから、当該文書を作成する目的、文書としての性質、機能、効用等の見地に照らし、その完成をめざして作成作業を遂行するという点からの当該公務員自身にとっての効用の域を超え、公務所自体としてもその文書としての存在に意義、効用を認める段階に至ったか否かという価値的な観点からの考察を必要とするのである。

そこでこの点を本件事実に即して検討するに、本件で問題とされている弁解録取書なるものは、被疑者を逮捕した場合、司法警察員が被疑犯罪事実の要旨等所定の事項を告げて弁解の機会を与えたのにさいし被疑者がどのように供述したかの要旨を正確に保全し、もって適正な捜査手続の実行の資料とすることを第一義的な目的として作成されるものであり、結果的にはその存在により、右のごとき弁解の機会を与えるという法定手続の履践されたことを実証する効用をも持ち、またその出来上った形式については被疑者の供述を録取した書面としての証拠能力を持ち得るよう配慮されているものと理解されるのであるが、

1  供述内容の記載の正確性を保証するため、作成者自身の記憶にもとづいて書き入れただけでは足りないとし、いったん供述内容として書入れたところを被疑者に読んで聞かせて誤りの有無を問い、その結果により増減変更の申立を付加しあるいはすでに書き入れた部分に誤りがあることがわかればこれに加除訂正を加え、さらには被疑者に署名押印させることが求められている。読み聞かせたところ被疑者が誤りないと述べあるいは黙秘したりすれば、これによって供述の記載内容は確定し、弁解の機会を与えたさいの被疑者の供述内容が文書に保全されたことになって捜査手続上意味を持つに至り、この段階に達すれば、作成にあたる当該司法警察員の立場を超え、組織体としても未完成ながら文書としての存在にそれなりの意義、効用を認めるものと考えられるが、それ以前の段階においては、すでに書き入れた部分に誤りがあるとして加除、訂正が加えられたり、増減変更の申立が付加されたりすることになる可能性を残しており、記載内容は不確定である。本件では、供述の書き入れ自体終了しておらず、もちろんのこととしてその読み聞かせすらなされていない。

2  供述を録取した書面として証拠能力を持つためには、供述内容として記載されたところを告げるなどして供述者に理解させたうえ、供述者の署名もしくは押印を得ることが必要であるが、本件ではいまだそのようなことはなんらなされていない。

3  被疑者、参考人等捜査機関以外の者を取調べこれによって得られた供述を録取する供述調書は、その作成、取得の過程が供述書の場合と異るが、捜査機関にはわからない右参考人等の記憶にある体験事実を文書に転化して保全するという点では目的、効用を同じくし、たとえ未完成の段階にあったとしても、既成の部分が一応のまとまりを持っていれば、あらためてその者から聞き出すという捜査機関以外の者への働きかけを経ることなく、右既成の部分を読むことにより、少なくともその範囲で捜査機関には本来わからない右の者の体験事実を不正確ながら知ることができ、以後の捜査の参考となし得るのであって、組織体としても未完成ながらその文書としての存在にそれなりの意義、効用を認めることになると考えられるが、本件で問題とされる弁解録取書は、前述したとおり組織体の一員である当該司法警察員自身が体験した捜査手続上の出来事(被逮捕者の弁解事実)を報告するものであるから、本件の程度に未完成の場合の既成部分の組織体に対して持つ価値は、同人自身が組織の内部で別途に報告するのと変りがなく、右未完成の供述調書に考えられるのと同じような意義、効用を持つものではない。

4  もちろんのことであるが、本件のごとく未完成のままで、組織体がこれを検察官、裁判官等に対し文書として(ことに弁解録取書として)対外的に利用する価値はない。

5  被疑者の供述を聞くのと併行して同時速記的方法でこれを録取しているのであれば、未完成といえども既成の部分の作成は一回限りのもので再製は不能であり、また、供述として記載されたところをすでにいったん読み聞かせた後であれば、再製のため前とまったく同じことを書き入れたとしても読み聞かせは前の分をもって代用できないという点で価値的に同じ物を作り直すことはできないとも言い得る。しかるに本件では、右のごとく同時速記的方法で供述が録取されたのではないし、読み聞かせの段階を経たものでもなく、しかもすでに書き入れられた文言の内容は単純かつ簡単であるから、当該司法警察員の作成作業の中の問題として、自らの記憶にもとづき自ら同じことを書き入れるだけのことで同じ物を容易に再製することが可能と見得るものであり、既成の部分はいまだ文書としての個性ないし非代替性を持つまでには至っていない。

本件事実に即して検討したところは以上のとおりであって、これらの諸点を総合して判定するとき、本件未完成の弁解録取書は、これを自己の責務として完成させるべくその作成作業に従事している公務員の立場を超え、組織体としてもその文書としての存在に意義、効用を認めるに至ったものとは認めがたく、文書として組織体たる公務所の用(使用、保管)に供せられる段階にはいまだ達していなかったとみるべきであるから、結局のところ刑法二五八条にいう公務所の用に供する文書にはあたらないと言わなければならない。

してみれば、本件未完成の弁解録取書につき右と同じ結論を示した原判決は正当であり、そこには所論のごとき法令の解釈、適用の誤りはなく、検察官の論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 戸田勝 裁判官 梨岡輝彦 岡本健)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例